「南国土佐を後にして」「ドレミの歌」「学生時代」 などで知られる歌手のペギー葉山さんが、昨日(12日)午前、肺炎のため亡くなられました。 享年83歳。
歌手生活65年。 ジャズ、ミュージカル、歌謡曲、童謡、ロシア民謡など、幅広いジャンルで活躍。 戦後の歌謡界を代表する歌手でした。 ご冥福をお祈りします。
歌手生活65年。 ジャズ、ミュージカル、歌謡曲、童謡、ロシア民謡など、幅広いジャンルで活躍。 戦後の歌謡界を代表する歌手でした。 ご冥福をお祈りします。
午前中、平均年齢65歳の絵画教室に卓上蓄音機を持ち込み、昭和30年代前半に製造されたペギーさんの「南国土佐を後にして」 などのSPレコード、SP盤数枚をかけ、追悼いたしました。 皆さん、青春年齢10歳前後になったはずです。
「南国土佐を後にして」 歌:ペギー葉山 作詩作曲:武政英策 編曲:川上義彦
キング・レコーディング・オーケストラ K-1414 king Record c-1716 (SPレコード)
1933年東京生まれで東京育ち。 愛国少女が終戦直後の中学生の頃から洋楽に夢中。 必要から英語を習い、英語風の名前を使い、ジャズを奨励した進駐軍キャンプや将校クラブに出演。 1950年前後に青山学院(女子)高等部に学び、ジャズを歌います。
1952年「ドミノ/火の接吻(せっぷん)」 でレコードデビュー。54年、「月光のチャペル」で NHK紅白歌合戦に初出場。 まだまだ無名です。(そのころのジャズ歌手で、わたしが聴くのは、美空ひばり、フランク永井、江利チエミ、雪村いづみ、ディック・ミネ、石井好子、ナンシー梅木、たちです。)
59年、NHK高知放送局の開局記念の依頼で歌った「南国土佐を後にして」が空前の大ヒット。 全国にペギーさんの名前がとどろきます。 もとの歌は、中国大陸の北支や中支に出兵した高知県の部隊(鯨部隊)の兵隊さんたちが、激戦のなかで望郷の念から作ったものだそうです。 (はりまや橋に平和を祈念する鎮魂歌碑があるそうですが未見。) 民謡の要素を取り入れたことに、ジャズ歌手のプライドがあるペギーさんは不満だったようです。
翌年60年に渡米。 ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」 を鑑賞し大感動。
劇中「ドレミの歌」 に自ら日本語詞を付けて歌いました。 今も「ドレミの歌」は子どもたちに歌い継がれています。 ドを ドーナツとしたのは、戦時中の学童疎開で食事に困窮した体験からだそうです。
(ひねくれ者のわたしは、「ドレミの歌」が流れると「レモンのレ」 のところはイタリア語のドレミ「re」の Rなのに、レモンのLでは違うだろとツッコミを入れてしまいます。)
ペギーさんは日本語歌詞の著作権を放棄。 反戦のミュージカルの意味合いから、「ドレミの歌」を広く普及させたかったと聞きました。
64年に「学生時代」 が100万枚を超す大ヒット。 ロングセラーとなります。 “蔦のからまるチャペル”と、“秋の日の図書館のノートとインクの匂い” の歌詞が、小学生だったわたしのハートを掴みました。 東京オリンピックの年でした。
歌の背景として、青山学院の先輩・平岡精二さんが、母校青山キャンパスの「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」 をイメージして作詞作曲。 当初、「大学時代」とタイトルが決まっていたのを、ペギーさんが「学生時代」 に変更させたとか。
(名曲「学生時代」は歌手を選びます。ペギーさん亡きあとは、倍賞千恵子さんが歌い継がれることでしょう。)
そして2年後の66年、NHK紅白歌合戦の紅組司会を務めます。このころはペギーさんの全盛期ですね。
ペギーさんがカヴァーした海外の著名な洋楽は、イタリアの曲「ラ・ノビア」や、日本語詞のカーペンターズ「シング(Sing)」。 そしてヒッチコックの名画「知りすぎた男」の主題歌「ケ・セラ・セラ Que Sera Sera」(歌:ドリス・デイ)など、たくさんあります。
歌声喫茶の名曲は62年の「琵琶湖周航の歌」が有名。 他に「かあさんの歌」や「島原の子守歌」 もあります。 前にも書きましたが、日本の流行歌に限らず、ラテン、マンボ、チャチャチャ、シャンソン、フォークソングと、欧米のJAZZやPOPSを融合させた偉大な歌手として、日本の音楽界にその名を残すことでしょう。
私生活でも、二枚目俳優の故・根上淳さんと結婚。 「芸能界きってのおしどり夫婦」として知られ、根上さんが脳梗塞で亡くなるまでの約7年にわたり、介護と歌手業を両立させたことも、仮面夫婦が多い芸能人夫婦のなかで際立っています。 介護や福祉の番組にも出演し、同じ介護生活を送る人を応援しました。
私生活でも、二枚目俳優の故・根上淳さんと結婚。 「芸能界きってのおしどり夫婦」として知られ、根上さんが脳梗塞で亡くなるまでの約7年にわたり、介護と歌手業を両立させたことも、仮面夫婦が多い芸能人夫婦のなかで際立っています。 介護や福祉の番組にも出演し、同じ介護生活を送る人を応援しました。
※78回転のSPレコード(SP盤)は、55(昭和30)年当時、レコード生産の80%を占めていました。
キングの録音は腰があって空気感がたっぷりあります。
『愛唱歌とっておきの話』(吹浦忠正著 海竜社2003) によると、 ペギーさんの愛唱歌は、「故郷」「荒城の月」「夏の思い出」「小さい秋見つけた」「学生時代」「ドレミの歌」「かあさんの歌」「長崎の鐘」「青い山脈」「誰もいない海」 と、アンケートに答えています。 「南国土佐を後にして」 は入っていませんね・・・