子どもの時から人物画が好きでした。今も、風景や花の絵より圧倒的に人物を描いています。
(学校のスケッチ大会は遊んでいました。想えば、風景を描いている友達を描いていたかな。)
モデルさんは、直接観て描きます。服の柄やシワを参考にしたりする写真を撮ることはありません。生中継で、一期一会の精神です。写真やビデオ映像などをトレース台でトレースしたり、白い画布や画用紙に映写して写し取ることはしません。
やせ我慢でも後ろめたさでもなく、必要がないからです。
写真の長所は、タイミングというかシャッターチャンスの妙であり、時空を超えた記録性だと思います。わたしのブログに、玩具のような激安デジカメでも写真が入れられる便利さも認めます。
写真やデジタル映像の優位性は認めつつ、わたしの好む、また理想とする遠近感や空気感、モデルさんの息遣いなどは、まだまだ再現されていないと思うので、気持を込めて黙々と描くのみです。(気持を入れて描くから、念写です。時々、念が濃い写真に出くわして感動しますが。)
わたしが写真を使って描いた絵は、、この半世紀で10枚もないと思います。歴史上の人物と建物のイラスト(挿絵)や、直接会ったことが無い人――故人(太宰府天満宮から依頼された先代宮司の肖像画)であったり、遠方に住む初孫さんの絵を注文された時に、手段として、“写真の情報”を利用したくらいです。
そんなわたしに久しぶりの転機が訪れました。
先日、実家の改築でお世話になった工務店の方から、恩師に母校の絵をプレゼントしたいということで、すでに廃校になっている小学校校舎の写真を渡されました。
恩師が木造建築の名工で、なるべく建築的に忠実にということから、写真を拡大コピーし、トレースの後、水彩と色鉛筆で仕上げました。
先日、実家の改築でお世話になった工務店の方から、恩師に母校の絵をプレゼントしたいということで、すでに廃校になっている小学校校舎の写真を渡されました。
恩師が木造建築の名工で、なるべく建築的に忠実にということから、写真を拡大コピーし、トレースの後、水彩と色鉛筆で仕上げました。
by Jun‐ichi Kinoshita 2015/10/22
写真を補助的に使いつつ、現実とは違った空間と光を意識し、具象と非現実の抽象の空気感を再現することが愉しかったです。アナログの手仕事とデジタル技術の融合の快感でした。
製作中になぜか、「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」で知られるフェルメールが感じたであろう気分を味わいました。 瞬間でしたが。
「カメラ・オブスキュラ」という、ピンホール(針穴)カメラのような機材を使い、擦りガラスに映った像をトレースして描いたというフェルメール。光学レンズは使っても、その工程をはるかに凌駕し、独自の世界観を再現したことに脱帽します。
コンタクトレンズや、白内障の手術で人工レンズを付けている人が増えています。後者は体内に最新のカメラ部品が入ったようなものです。
白内障だった画家で引用される、睡蓮のモネや、マリー・ローランサン、坂本繁二郎などが、現在の最新医療を受けていたら、晩年の画風は激変していたことでしょう。もっと歴史をさかのぼって、紀元前の画家やルネッサンスの画家たちでもいい、当時から現代にあるような遠近両用メガネやコンタクトレンズなどの人工レンズを使えていたら、美術史、いや人類史は全く違っていたでしょうね。
絵に写真を使うか、使わないかの論争の前に、多くの画家がすでにメガネや人工レンズを使用しているので、フェルメール以前の画家たちの見え方や認識の仕方と違うことは明らかです。これらの変化は、神や仏が見える見えないの領域(観念)にまで繋がりますか。 見えなくなったから観えたように思う。見えるようになったから観えない?
デジタル技術を使うのであれば、アナログとのバランスのいい共同作業が望まれます。